子供の躾について
ドイツでは、親が子供を叩いたりすることは法律により禁止されている。下手をすると、警察のお世話になりかねないし、子供を児童相談所に取り上げられる結果にならないとも限らない。
私の母は、何かというとすぐに手をあげるひとであったし、私の育った時代には、親が子に体罰を与えることは、珍しくもない時代だった。
中学校時代も、割に不良の多いことで評判な学校だったせいもあるかもしれないが、『物差しを忘れた。』『宿題を忘れた。』と言っては先生からビンタを喰らったり、外履きで校舎へ上がったのを見つかっては、廊下で足がビリビリに痺れ、終いには感覚が無くなるほど正座をさせられたり、今から考えてみれば、よく言えばの話だが少し念入りすぎた躾だったかとも思う。
・・・だから、というのは理由にはならないだろうけれど、自分の子供に対しては、その点では我ながら苦労する。
いくら頭で理解していても、イザその時になると、<三つ子の魂>で、手が出てしまうときがある。
そんな話をドイツ人の友人の一人に相談した所、ドイツでも家庭内、学校などで子供に対する体罰が禁止になったのは、1980年くらいからだそう。それは、ナチス時代の面影も多分に影響しているそうで、あのユダヤ人大量虐殺という悲惨な歴史を2度と繰り返す事無きよう、自戒と反省も意味も含めての法改正に至ったそうだ。
『言うなれば、柱時計の振り子が左の端(ユダヤ人大量虐殺時代)から右の端(家庭内においても暴力禁止)までブラリと一気に揺れ動くように、ドイツ人の思考はある意味では極端なのさ。』とその友人は、語っていた。
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実際、道端や公園などで他の親子のやりとりを見ていると、時々頭が下がる思いがする。
考えてみれば、今まで親が子供に大声をあげたり、手をあげたりなどという光景には、トルコ人以外には、出会ったことがない。もちろん、すべての親達がそうではないだろうけれど・・・。
子供を根気よく諭す、とでも言おうか・・・。かなりの忍耐が必要とされる行為に思える。 彼らに言わせれば、『子供も人権を持ち、尊ばれる権利がある。』とのこと。本当にその通りです。
次男の友達の母親は、自分の息子を叱るときに、「私の目を見なさい。」という。そして、決してこのブログを書いているお方のように吼えたりしない。
・・・なんと素敵な叱り方、と心中感動し、それを是非我が家でも、とその時は思うのだが、実際にその「時」が訪れると、元の木阿弥、自分が親から受け継いだ『躾』そのままが、まるで皮膚のように、剥がしても剥がれずピッタリくっついたまま・・・・、ということを確認するのみだ。
その瞬間は、子供を脅威と権力で押さえつけて、スッとするけれど、結局『自己嫌悪』、という形で嫌な後味が残る。
できれば、蛇の脱皮のように、スンナリと過去の『躾』を脱ぎ去れないものだろうか?
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これは、もう何十年前に見た日本でのテレビ番組か定かではないけれど、指揮者の大町陽一郎氏の奥様(確かドイツ人ではなかったか?)が『大町氏の素顔』を語っておられた。
とにかく、彼はご自分の息子さん達をよく怒鳴り付け、ひっぱたく方だったらしい。奥様はそれには相当ビックリ仰天なさったそうである。
今、自分が『子供を躾ける』という同じ立場になり、なぜがその奥様の供述が時々思い出される。
子供に体罰を加えることは、その『瞬間』には、罰を与えるものにとってはある意味では『救い』なのかもしれない、しかし考えてみれば、それはただの『自己満足』とも思われる節がある。 それに、相手は体力では到底大人には敵わない。視点を変えると、『弱いものいじめ』ということにもなる。
もうご理解していただけたと思うが、その点は、私は頭ではよく理解しているんです。
それを実践に無理なく移す方法を、どなたかご存知であれば、ゼヒ助言をお願いしたい。
ちなみに、日本も今年の4月から親が子供に対しての体罰禁止法が成立するとのことだ。
2020年1月
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