園田先生に初めてお会いしたのは、1997年に私が参加したドイツ・ドルトムントで行われたシューベルト国際コンクールの際だった。春子夫人を伴われて審査員を務められておられた彼に、受賞者パーティーで話しかけていただいたのがきっかけとなった。
その後、しばらくして彼は私をバーデン・バーデンの自宅に招いてくださった。
日本のピアノ界の重鎮かつ草分け的存在、また、海外でも活躍されている日本人では数少ないピアニスト。
私にとっては神のような存在を前に、緊張と畏怖の念で彼の前に座った自分の膝が微かに震えていた。
ところが、実際に目の前に座っておられる「神様」は、決して気取ったり、威張ることのない、ユーモアのある、どこか無邪気さを持ち合わせた方だった。
いいことは褒める、悪いことはハッキリとダメだ!とおっしゃる。また、どんなことでも、質問すると真摯に答えてくださる。私のピアノも、確か幾度か聴いていただいたことがある。そうなると、普段はどこか父親的な存在の気さくな氏がイキナリ厳しい禅師匠に豹変するのが印象的だった。
ピアノ、また音楽に関する限り、「妥協」という言葉は彼には存在しない。
「ピアニストは、ピアノを練習しているだけでは育たない。知性は、音楽家にとって技術や音楽性に劣らず大切なもの。それが、日本人のピアニスト達の多くが必要としていること。」と園田氏が述べている某新聞の記事を、数年前偶然目にした。
確かに、というわけではないが、彼のバーデン・バーデンと自由が丘の自宅には、まるで図書館のようにあらゆる分野の本が所狭しとならび、また高層ビルさながら積み上げられていた。
音楽家、特にピアニスト達は、特殊な生き物で、子供の頃から自分と向き合っている時間が莫大に多い。何しろレパートリーの多さといったら、私などのようにノロノロと勉強するものにとっては、あと3回80歳の人生をもらえたとしても、全ての曲を網羅する事は不可能であろう。そんな訳で、ピアニスト達は、人生の殆どを他の人間達とではなく、ピアノと一緒にある意味で孤独に過ごすケースが多いのではないだろうか…。
園田氏は、作曲家達も人間だったのだから、まず人間としての彼らに興味を持ち、彼らがどんな交友関係を結び、いかに人生を過ごしたのか、またその時代の政治的背景などを把握したうえで演奏することが当たり前、と思われていた。
ただ音符ばかりを追って、ミスのない演奏を目指しても人の心を捉える演奏は出来ない、と気付いたのは私も鏡に映った自分の顔に、チラホラと白髪が目立ち始めた頃だった。
園田氏は、晩年に至って後進のピアニスト達をバックアップする事にも多くの時間と労力を注がれた。
例えば、トッパンホールでの<旬のピアニストシリーズ>、またエヴィカというレーベルで知られるCD製作などでお世話になった、現在国内外で活躍される若手・中堅のピアニスト達も多数おられる。
ピアノという楽器に魅せられ、それに一生を捧げた彼は、自身の生まれ育った祖国日本で、その魅力を受け継ぎ、また次の世代へ伝えてくれる<若い芽>達を、純粋な気持ちで支援してくださった。
日本という国は、西洋音楽の面では、ヨーロッパに比べて未だに後進国である。世界で物質的には最も豊かな国の一つでありながら、国全体で自国の若く才能のある者達をバックアップする団体も予算も少ない。ヨーロッパ暮らしの長かった園田氏は、そんな事情も把握された上で、春子夫人と共に、色々と自ら実際に行動されていた。
今日は、私にとって人生の中で最も貴重な<出逢い>の一つとなったであろう園田夫妻が過ごされた空間で演奏させていただく機会を得られたことに、心より感謝している。
(音楽と建築の響き合う集い ・旧園田高弘邸にてのコンサート 2014年4月27日)
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